「信長死すべし」

六十郎の伊藤正尚です。 2014年2月13日に直木賞作家の山本兼一が亡くなりました。生涯に21作の小説を残しています。2012年の10月に肺癌が見つかり、新聞連載等を病室で書き続け、絶筆の「平安楽土」を亡くなる6時間前まで書いていたとも言われています。2009年に「利休にたずねよ」で直木賞作家となり、亡くなられた時がまだ57歳で、これからの作家だっただけに残念です。硬軟どちらの作風もこなせ…

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『帝都物語』

六十郎の伊藤正尚です。 1983年からテレビ時代劇『水戸黄門』は、西村晃が水戸黄門役を務めました。初代の東野英治郎と共に黄門役が似合った俳優でした。名古屋飯を代表する味噌煮込みうどんの名店“まことや”の店内に西村晃の色紙が貼ってあります。綺麗な筆跡に素養を感じます。西村晃は、日本の最初のロボットと言われる“學天則”を造った西村真琴教授の息子さんで、1988年に公開された『帝都物語』では、そ…

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「錯乱」part3

六十郎の伊藤正尚です。 NHKの大河ドラマ『真田丸』は前作より視聴率も良い様ですが、念を押す為か、『ブラタモリ』でも関連の上田市や沼田市を取り上げさせています。上田市は新幹線も止まりますが、沼田市は関東以外では知名度が低い気がします。私は、池波正太郎の「真田太平記」を読んでいましたので“沼田城”の名前を知っていましたし、戦国時代の沼田領の重要性を少しは理解していました。しかし、13日の『ブ…

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♪見上げてごらん夜の星を♪part3

六十郎の伊藤正尚です。 2月になり、花粉症の症状が出て来ました。今や国民病と言う人もいますが、花粉症が認知されたのは1980年頃だったのではないでしょうか。以前、かかりつけ医からお聞きした話では、1963年にスギ花粉症に某医師が気付き、学会に発表したとの事です。患者の追跡調査では、早い患者では1945年頃から症状を訴えていた様です。私個人も、1970年前後に鼻水が止まらない時や鼻の粘膜が乾…

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「以下、無用のことながら」

六十郎の伊藤正尚です。 先日、司馬遼太郎が亡くなって20年となると書きました。やはり、NHKが関連番組を先週末に二日続けて『司馬遼太郎思索紀行 この国のかたち』と題して放映していました。先日も書きましたが司馬遼太郎は、代表作の小説は1960年代に書き終わり、以後、紀行物や随筆が中心でした。その題材が、“日本人とは?”とか“日本とは?”と言った内容でした。特に、月刊文藝春秋の巻頭随筆は「この…

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