「陸軍中野学校」

六十郎の伊藤正尚です。

WOWOWで、勝新太郎と田村高廣が主演し1965年から始まった『兵隊やくざ』シリーズを連日放映しています。第1作目の監督が大映現代劇のエースだった増村保造監督です。大映の期待に応え映画はヒットし、シリーズ化となります。特に、田村高廣の大宮上等兵役での演技が評価され、各映画賞で受賞しています。大映は、味をしめたか翌1966年に市川雷蔵主演と増村保造監督で『陸軍中野学校』を製作します。こちらも、クールな市川雷蔵のスーツ姿が受け、以後、シリーズ化となります。

映画『陸軍中野学校』の冒頭で、昭和13年に18名でスタートしたと語られます。以後、シリーズは真珠湾攻撃の直前まで描かれます。セットや国内ロケで撮影されていますが、白黒の画面が戦前の雰囲気を醸し出しています。“中野学校”は、歴史的にはわずか7年だけ存在した組織であり、かつ、組織の性格上不明な点が多い訳です。この為、映画の原作はある様ですが脚本家が史実を照らし合わせ、推測をしながら書いています。

先日、大型書店で書棚を眺めていたら「陸軍中野学校」と書かれた背表紙が目に飛び込んできました。ノンフィクションライターの斎藤充功さんが書いた、中野学校卒業生のインタビューが中心の書籍です。この本によれば、“中野学校”の第1期生は19人で、途中病気による退学が1名あり、卒業は18名となっています。そして、第1期生の中には2010年頃まで存命の人が複数人おられ、肉声が書かれています。亡くなられる直前まで、肉体は老いても頭脳の記憶は確かで“インテリ”そのものと著者は書いています。

私達の世代では、“中野学校”と聞くとルバング島で見付かった小野田寛郎さんを思い浮かべます。小野田寛郎さんは、静岡県にあった中野学校の二俣分校の卒業生の様です。情報将校としてフィリピンのルバング島で、アメリカ軍の動向を探っていたとも言われています。29年間の潜伏期間を考えると、聡明な頭脳と強い意志があったと推測されます。小野田寛郎さんも2014年まで存命でした。戦後史にも卒業生が関わったとも噂されていますし、斎藤充功さんも“中野学校”は、映画や過去の話では無く、現代の話と書いています。

では。(2016,01,30)
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