『続 悪名』

六十郎の伊藤正尚です。

先日、大阪の八尾空港で小型機が墜落しました。八尾市も、私が社会人になった時に担当地域でした。最も、近鉄八尾駅の高架化が終わった頃で、モール街周辺が顧客だった為、他には行っていません。戦前に八尾空港が出来る程の平坦な地域だった記憶があります。以前にも書いた事がありますが、私達の世代では、“大阪の八尾”と聴くと映画『悪名』を思い浮かべてしまいます。最も、ナイター中継が雨天中止になった時の、穴埋め番組で『悪名』を観た世代です。

初代の文化庁長官で僧侶でもあった今東光が、1950年代に河内で住職として生活をした時に出逢った岩田浅吉をモデルに『悪名』の原作を書いたと言われています。『悪名』は、1961年9月に公開され大ヒットし、同年12月に『続 悪名』が公開される慌しさです。その為、撮影時間も無くラストシーンの撮影に大きなセットも組めない為、宮川一夫キャメラマンが撮影所の屋上にカメラを設置し、撮影所の玄関口を真上から俯瞰する構図を提案し、モートルの貞が刺殺されるシーンを撮っています。

名人宮川一夫キャメラマンは、あのマキノ雅弘監督と小学校の同級生との事です。キャメラマンとしてのテクニックは勿論、アイデアマンでもあった様です。『羅生門』では、雨粒を白黒画面に浮き立たさる為、墨汁をタンクに入れて蒔く事で結果を出します。同様に、『羅生門』では木樵が森の中を彷徨い歩くシーンでは、8の字にカメラのレールを敷きお寺の裏山での撮影でも森の深さを映像化しています。加えて、当時はタブー視された太陽にレンズを向けて撮影した最初のキャメラマンと言われています。

市川崑監督の『おとうと』では“銀残し”を編み出し、『金閣寺』では金箔を扇風機で舞い上がらせて金閣寺炎上の印象的なシーンを撮っています。市川雷蔵の『ひとり狼』のオープニングの後ろ姿のシーンは、市川雷蔵の後ろ姿が絶品と言って池広一夫監督に助言したとも言われています。『続 悪名』の真上から俯瞰撮影は、雨やくるりと回る雨傘も加わり、とても撮影所の玄関口が撮影に使われたとは思えない、緊迫のシーンになっています。咄嗟な時に、力が出るかどうかが、名人と凡人の違いの様です。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
では。(2016,03,30)
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