「参謀」

六十郎の伊藤正尚です。

プロ野球は、贔屓チームだけでなく出来る限り他チームの動向を新聞記事等で読むタイプです。西本幸雄監督が今は無い阪急ブレーブス時代からで、パリーグの試合も中継があった時は観ています。1978年秋のドラフトで四チームが指名し、結果、西武ライオンズに入団した森繁和選手も入団時から動向に注目していました。眼鏡の奥の鋭い眼光は、入団時から有りました。選手としては、怪我の影響もあり短かったのですが、1989年から2011年まで、西武・日ハム・横浜そして中日とコーチとして途切れる事なく奮闘してきています。

2004年に中日ドラゴンズが落合博満監督となると、落合監督から投手コーチとして招聘されます。メインの投手コーチが情報漏れの失態をした為、以後、落合・森コンビで黄金時代を築き上げます。投手コーチとしてだけでなく、自らドミニカでのウィンターリーグ視察に出掛け、外国人選手の獲得にも奮闘しています。数々のタイトルホルダーとなったトニー・ブランコ選手も、森コーチが獲得しています。落合博満監督の退任後、一旦、野球解説者としてだけで2012年からニ年活躍し、2014年からヘッドコーチの肩書きで谷繁プレーイング監督の補助をします。

一旦中日ドラゴンズを退団(2012年)した際に「参謀」と言う本を出版しています。厳つい外見とは違い、細かな観察力を感じる事が出来ました。社会人時代の1977年にインターコンチネンタルカップに、当時は東芝府中の選手だった落合博満選手と一緒に選出されています。落合博満監督時代、テレビ中継で若い中日ドラゴンズの投手達を叱責する姿を観る事が度々ありました。吉見一起投手がファンから森繁和コーチの印象を聞かれ「テレビで観る姿と実際は違って良い人」と答えている様です。

森繁和コーチは、野球解説者時代でも自費でドミニカに出掛けています。ドミニカでの人脈を絶やさない為だった様ですが、その努力が、今年大活躍しているダヤン・ビシエド選手の獲得に繋がっている様です。これまで来日した中日ドラゴンズの外国人選手達は、現地でプレーを観て、第三者の客観的な意見を参照し、現地で直接コミュニケーションを取って獲得しています。外国人選手の試合後のインタビューでも森繁和コーチの名前が出る時が有ります。外国人選手達からも慕われる事を考えると森繁和コーチは“良い人”で間違いない様です。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
では。(2016,05,11)
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