『手錠のまヽの脱獄』

六十郎の伊藤正尚です。

1965年4月に公開された『網走番外地』の大ヒットで高倉健はスター俳優の仲間入りをします。東映東京撮影所の期待の若手俳優でしたがヒット作が無く、“江利チエミの夫”と蔑んで呼ばれる事もありました。『網走番外地』の企画が持ち上がった際に、東映は脱獄映画はヒットしないとカラー映画予定から白黒映画に変えて予算を削減された程でした。しかし、天才石井輝男監督の演出と酷寒の大地で身体を張った高倉健の演技が重なり大ヒットとなりました。石井輝男監督が意識してアメリカ映画から真似た大雪原を敵役の南原宏治と高倉健が手錠をはめられたまヽ逃げ惑うシーンが好評でした。

1958年のアメリカ映画に『手錠のまヽの脱獄』があります。社会派のスタンリー・クレーマー監督作品で、白人俳優のトニー・カーチィスと黒人俳優のシドニー・ポアチエが共演しています。護送車の事故で二人は脱獄しますが、同じ手錠で繋がれたまヽです。二人は啀み合った状態で逃げ続け、次第に、奇妙な友情が育まれて行くストーリーです。舞台がアメリカ南部で黒人差別が激しい地区だっただけに、設定が話題になりました。シドニー・ポアチエはこの映画で一躍スター俳優の仲間入りをし、1963年の『野のユリ』で黒人俳優として最初のアカデミー男優賞を受賞するまで上り詰めます。

1947年4月に、ブルックリン・ドジャースが28歳のジャッキー・ロビンソンを大リーグの試合に出場させると発表しました。それまでは二グロ・リーグで活躍し、ドジャースのオーナーが黒人選手としては初めての大リーグ選手として契約しました。当時の大リーグのオーナー達の中には、黒人選手の大リーグへの参加を拒否する人もいました。しかし、ジャッキー・ロビンソンは1956年に引退するまで大リーグで活躍し、今や、彼の42番の背番号は永久欠番です。今、彼がデビューした4月15日はジャッキー・ロビンソン・デーとし、大リーグでは全選手が42番の背番号を付けてプレーします。

白人天国と言われたアメリカですが白人以外の移民も増え、アメリカ社会での人種構成も変化しています。大リーグでは有色選手が無くては成立しません。映画の世界でも、配役に人種のバランスを考えるとも言われています。トランプ候補が大統領選の候補になったのも、大きな変化の象徴かも知れません。今後は、従来の認識でアメリカを語れなくなる様です。何故なら、2040年には白人と有色人種との人口構成が逆転すると言われています。オバマ大統領が最初の白人以外の大統領でしたが、今後は、白人の大統領が珍しくなるかも知れません。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
では。(2016,06,15)
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