「蹴りたい背中」

六十郎の伊藤正尚です。

7月28日生まれですので、誕生日が近付いて来ました。法人の代表と言っても、一人親方の会社ですので定年は有りません。よって、老体が動くまで働く覚悟の為、定年と言う概念も無く、誕生日と言っても年齢が重なるだけの感覚です。先日、年齢の近いある方と話をしていましたが、その方も定年を意識して来なかった様ですが、最近、朧げに“あと5年”と思われた様です。最も、「もし、まだやり残した事があれば延長すれば良いので目安です。」と言っておられましたので、悲壮感は有りませんでした。

1968年から1969年の東大紛争。引き続いての1973年の第一次オイルショックを20歳前後で体験しました。右肩上がりの高度成長に社会全体が浮かれたいた時だけに、価値観の急激な変化や、社会や企業活動の急速な萎縮を目の当たりにし、いわば冷めた世代かも知れません。この経験は、その後の第二次オイルショックやバブル崩壊にリーマンショックに活かせたかは不明ですが、大きな精神的なショックは少なかったかと思います。ただ、人生も後半ですのでこれ以上のショックは遠慮したく思います。

私の様な凡人には良い意味で“鈍さ”があり、ショックを和らげてくれたのかも知れません。しかし、創作活動をする様なナイーブ感性を持った人にとっては、ショックや大きな変化を克服するには時間が必要な様です。2004年1月の芥川賞発表は、世間に大きな衝撃を与えました。綿矢りさの「蹴りたい背中」と金原ひとみの「蛇にピアス」が受賞したからです。その二作品を掲載した月刊文藝春秋2月号は100万部を超える大ヒットでした。綿矢りさが19歳、金原ひとみが20歳の時の作品です。

早稲田大学の学生だった綿矢りさは周囲の期待に押し潰され、受賞後第1作が上手く行かず、数年間のスランプ期に入ってしまいます。自身も語っていますが“遠い夜明け”を模索する日々だった様です。最近は、自身でも「夜明けがあった」と作品も出てきていますし、結婚もした様です。20歳前後のショックや大きな変化体験は、生きて行く上の糧になるかと思います。私が所属する業界は、今、厳しい環境に置かれています。それでも、過去の体験からすれば乗り越えれない事はないと、悲壮感を持たずに頑張ります。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
では。(2016,06,21)
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